絵本

災害が多発しているいまだから伝え残しておきたい「阪神淡路大震災の記憶」

災害は、いつやってくるかわかりません。

『あの日をわすれない はるかのひまわり』は、1995年1月17日午前5時46分に発生した阪神淡路大震災で、妹を亡くした「加藤いつか」さんの実体験に基づいたノンフィクション絵本です。

震災で身内を亡くした親族が、どういう想いで日々暮らしているのか。その記憶を教訓として後世に残していきたいという想いから、この絵本は産まれました。

この記事を書いている、2018年9月6日早朝3時8分頃、北海道の胆振地方中東部を震源とする震度6強の強い地震がありました。
2日前の9月4日は、台風21号が四国関西地方に上陸し、関西空港が浸水や連絡橋にタンカーが衝突するなどの被害が続いている矢先のできごとです。

にほんブログ村 ライフスタイルブログ シンプルライフへ にほんブログ村 本ブログ 絵本・児童書へ にほんブログ村 雑貨ブログ 雑貨ライフへ

あらすじ

阪神・淡路大震災で妹を亡くした「加藤いつかさん」の10年を描いたノンフィクション絵本。

阪神・淡路大震災で妹を亡くした「いつかさん」はその夏、妹の「はるかちゃん」が亡くなった場所から、大輪のひまわりが咲いたことを知りました。近所の人が「はるかちゃんのひまわり」と呼び、毎年そのひまわりの種を蒔く活動が広がりました。ところが、姉の「いつかさん」は当初、つらくてひまわりを見ることもできませんでした。ですが、ボランティア活動や神戸復興のお手伝いをするうちに、すこしずつ何かできることをしていこうという気持ちが芽生えてきます・・・。

 

阪神淡路大震災その日になにが起きたか・・・

1995年1月17日 午前5時46分

当時わたしは、関西国際空港がある大阪泉南地区に住んでいました。震災が発生したその日は、自宅の2階で寝ていたのですが、下から突き上げるような振動で目が覚めました。

まだ夢をみているのか?現実か・・

わたしの部屋から対岸の淡路島が見えたのですが、早朝でまだ暗く、遠方なので異変にきづくこともありません。地震が発生したのはわかったのですが、テレビをつけても状況は何もわからない状態でした。

とにかく、大きな揺れが続いていたのですが、わたしの家は異常がなく、そのまま寝てしまいました。

ところが、朝7時に目を覚ますと、テレビには高速道路が倒れている衝撃的な映像が映し出されていました。一瞬、頭の中に浮かんだのは、

怪獣・・・。ゴジラ・・・?

不謹慎ですが、まじめにそう思ってしまいました。まるで、映画のワンシーンのような感じがして、とても現実とは思えなかったのです。

朝8時になると電車が動き始めたので、大阪本町にある会社に向かいました。JR阪和線・大阪地下鉄(Osaka Metro)に乗り継ぐのですが、遅延はしていましたが電車は普通に動いていました。

会社のビルは、地震の影響で壁にひびは入っていましたが、社長を含め社員全員の無事が確認できたので、退社して状況を確認することになりました。

当時は、携帯電話を持っている人も少なく、インターネットもまだ普及していません。情報は、ラジオ・テレビと新聞しかありませんでした。神戸の街が、あんなことになっているのを知ったのは、帰宅してからです・・。

崩壊・炎上する神戸の街並み

余震が続く中、帰宅してからテレビをみて被害の大きさが少しずつわかってきました。

朝でかける前にみた倒壊した高速道路。神戸大丸百貨店が倒れ傾いた映像。倒壊した家屋や、炎上する神戸の街など、地震後数時間経過しているにもかかわらず、救助活動が間に合わず、被害が拡大していることがわかりました。

これから、どうなるんだ・・?

映像をみながら途方に暮れたことを思い出します。

倒壊した家屋から救助された人は数知れず・・

絵本にも書かれていますが、「加藤いつか」さんの倒壊した家から家族が救助されたのは、お父さんが3時間後、お母さんが5時間後、妹の「はるかちゃん」は7時間後だったそうです。

神戸に住んでいた後輩も、倒壊した家屋から救われて入院していました。話によると、あと数時間遅れていたら亡くなっていたか、足を切断していたかもしれなかったという状態でした。

ポートアイランドのマンションに住んでいた先輩は、地震の直後に発生した液状化現象で、数日外出できない状態が続き、食料の確保に難儀していたと聞きました。

経験を伝えることが人を救うことにつながっている

この絵本は、防災絵本ではありませんし、地震の恐ろしさを伝え残す絵本でもありません。防災意識を普段からもち、災害に備える方法は、他の本に任せましょう。

この絵本は、震災で妹を亡くしたひとりの女性の苦悩と、彼女の周りにいたおじさんやおばさん、同じ境遇の人たちや、ボランティアの人たちによって、癒され助けられてきた10年間を描いています。

そして、自分にもなにかできることがある。と思うようになった理由も・・・。

いつかさん。亡くなった妹「はるかちゃん」のぶんまで生きて、ひまわりのタネをまき続けてください。そして、震災のことを多くの人に伝えてください!

阪神淡路大震災の経験者として、わたしもできる限りのことを、後世の人に伝えていこうと思います!

加藤いつかさんが理事をしているNPO法人
NPO法人阪神淡路大震災「1.17希望の灯り」

※現在電子書籍版(Kindleなど)のみ発売されているようです

ABOUT ME
たくたく
たくたく
ほっこりっち編集長です。 大阪泉州地区出身の50代。 IT関係の仕事をしていたが、絵本専門の出版社に転職したことから絵本と文章の魅力に目覚める。 3年勤めた出版社を退職後は個人ブログを運営し、外部メディアさんに寄稿する機会も増えてきました。